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六 - 6

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迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡(さるぐつわ)でも嵌(は)められないうちはとうてい黙っている事が出来ぬ性(たち)と見えて、また次のような事をしゃべり出した。

「僕の失恋も苦(にが)い経験だが、あの時あの薬缶(やかん)を知らずに貰ったが最後生涯の目障(めざわ)りになるんだから、よく考えないと険呑(けんのん)だよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出(みいだ)す事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬(しょうけい)したり (しょうきょう)したり独(ひと)りでむずかしがらないで、篤(とく)と気を落ちつけて珠(たま)を磨(す)るがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易(へきえき)したような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅(ろうばい)君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承(うけたま)わる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気(のんき)だが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏(おなつ)さんと云う有名な別嬪(べっぴん)がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜(すいか)が食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸(うな)ったが少しも利目(ききめ)がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄(てんちげんこう)とかいう千字文(せんじもん)を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝(あくるあさ)になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日(きのう)申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無(む)である。――よく穿(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味(りき)んで見せる。これを承(うけたまわ)った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞(ほ)めるのだか曖昧(あいまい)な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍(ふえん)して、下(しも)のごとく述べられた。

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